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神戸市経済観光局
中央卸売市場運営本部
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東部市場の歴史

   
東部配給所の建設
 東部市場の起源は大正期に遡ります。大正十年代、神戸初の中央卸売市場である「本場」の計画がされていた時、東部と西部に分場を設置すべきとの論議が、既に起こっていました。その後分場論は一時立ち消えとなりましたが、昭和6年、「本場」への参入が叶わなかった仲買人を収容する目的で、約30万円の費用にて配給所を設置する案が市会へ出され、これが実現することとなりました。
東部配給所は神東・葺合の両青果市場および脇浜の魚市場を主力に、灘区日出町4丁目に設けられました。「本場」に比べて規模は小さいものの、敷地2,500坪、建て坪1,155坪、卸売場は木造平屋建て173坪、仲買店舗は鉄骨平屋建て783坪、72店舗であり、青果部を筆頭に塩干魚部、乾物部、漬物部、鮮魚部が揃い、各部門の仲買人を網羅した市場でした。(この時、林田区駒林町4丁目では、西部配給所が設けられました。)
 
 
東部配給所 東部配給所(全景)
東部配給所(全景)
   
市場の移転計画
 その後、東神戸の急激な発展に伴い、年間13~14億円を取扱う業績となり、小売業者にとって欠かせぬ拠点となりました。(この間、東部配給所→東部分場→東市場と名称が変化しました。)
業績が伸びる一方で、市場の狭隘化が問題となり、昭和27年には拡張審議会が設置され、市場の拡充が検討されました。しかしながら、既に東・西・南が神戸製鋼所に囲まれており、これ以上の敷地拡張は難しい状況でした。さらに、東部臨港線敷設予定路線の変更による市場中央の路線横断予定や、阪神高速道路の予定地変更による仲買店舗屋上の路線通過予定等の問題が生じたことから、市場そのものを移転することが賢明であるとの結論に至ったのです。
 神戸市主催の食品市場新聞社協賛による懸賞募集により、東市場の新名称は「東部市場、東市場、臨海市場、阪神市場、灘市場」の中から「東部市場」に決定し、「神戸市中央卸売市場東部市場」が最終名称となりました。また、昭和40年の移転先は人口100万人の消費圏を対象に、東部第4工区埋立地、敷地面積は最低10万8,900㎡(3万坪)と決定しました。(当時、東部第4工区は神戸市が埋め立て計画中の敷地で、全敷地は30万坪)
 
開業から総合市場まで
旧東市場は「東部市場」として、単なる移転ではなく、新しい総合市場へ生まれ変わる事となり、全国で58番目の「中央卸売市場」として、昭和44年11月11日開場しました。当時、市場施設の完成と業者入場には1~3年の「ずれ」があるとの常識がありましたが、東部市場では施設完成とほぼ同時期に水産・青果、関連事業者の全業種が一斉に入場し、全業者揃っての開業となる華々しいスタートとなりました。開業後は地盤沈下の問題がつきまとい、開場から間もなく本格的修理を行う必要性が生じ、この間仲卸店舗が仮設店舗での営業を余儀なくされる事もありましたが、取扱額は昭和45年度に138億円、同53年度に459億円と、3倍以上になりました。同49年5月には花き部門の入場があり、東部市場が関西で初の公営花き市場(全国では仙台、横浜南部に次いで3番目)として、花と緑の流通拠点となったのです。
 
 

開設当初の東部市場

開設当初の東部市場
   
震災からの復興と再整備計画

平成7年の阪神・淡路大震災による被害は甚大なものであり、市場全体が地盤沈下し、主要施設も大きな被害を受けましたが、発生後1週間前後で青果部・花き部の取引が再開し、水産物部も1か月前後で取引を再開しました。この間も緊急復旧工事を続け、平成103月には、全ての復旧工事が完了しました。

 近年となり、少子高齢化、流通構造の変化、食糧消費・小売形態の変化、消費者ニーズの多様化等、卸売市場を取り巻く環境は大きく変化してきています。この変化に対応するため、平成243月「経営展望計画」を策定し、「コンパクトで時代に適合した機動性のある卸売市場」をビジョンに掲げ、東部市場は新たな時代へ進んでいきます。

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