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神戸市中央卸売市場の歴史と年表

神戸市中央卸売市場の沿革

神戸市における魚市場の歴史は古く、遠く江戸時代にまでさかのぼります。300年以上の歴史をもつ宮前魚市場をはじめ、市内各地で生鮮食料品の卸売市場ができました。
一方、青果市場の起源は、比較的新しく、明治14年ごろ、弁天浜市場(通称)を開場した頃に始まったとされています。その後、市内の各地で、個人市場と問屋業者とを合併した株式会社組織の市場ができました。
魚市場、青果市場とも、その後、合併、分場を繰り返しましたが、大正12年11月中央卸売市場法が施行され、神戸市及びその隣接町村が第一次指定区域となったため、市場開設の調査を行い、市会の議決を経て、大正15年7月、建設地を兵庫区新在家地先に選定しました。建設工事は昭和5年8月に起工し、1年8か月の歳月と延14万8千余人の労力を費やして、昭和7年4月に完成し、同12月、全国で5番目の中央卸売市場として業務を開始しました。
また、細長い神戸市の地形に対応して、脇浜埋立地に東部配給所を、駒ヶ林に西部配給所を設け、業務を開始しました。その後、東部配給所は東部市場として移転開場し、西部配給所は昭和37年に廃止され、昭和40年に食肉市場として開設された後、西部市場へ名称変更し、現在の3市場体制となりました。

本場について

本場は、戦後、進駐軍軍用犬訓練所として使用された後、昭和25年に神戸市が買収し、その後、駐車場、加工場、関連商品売場、漬物卸売場などが建設されました。また、昭和51年度を初年度とする農林水産省の「第2次卸売市場整備10ヵ年計画」の大規模改修事業の対象となり、狭隘化・老朽化の著しい施設の全面建替が計画され、昭和54年から兵庫港の一部埋立工事が行われました。埋立完成後、昭和56年新卸売場棟建設に着工し、卸売場棟・仲卸売場棟・買出人駐車場と順次完成し、昭和62年3月、すべての施設が完成しました。
 平成7年1月 阪神・淡路大震災により北端事務所棟及び関連事業所棟の一部が崩壊、他の施設も大きな被害を受けましたが、青果部については翌日、水産物部も1週間以内に取引を再開しました。本場の災害復旧工事は急ピッチで進められ、平成8年度にすべて完了しました。
 また、老朽化した西側施設の移転・集約を進めるため、平成16年からはPFIを活用した再整備事業を実施し、平成21年度には第1期の移転が完了し、現在は第2期の市場施設の移転を進めています。

東部市場について

東部市場の前身である東部配給所(東市場)は、拡張計画がもちあがり、昭和38年7月に東市場審議会を設置し、昭和44年11月に現在の東部第4工区埋立地に東部市場として移転開場しました。続いて昭和49年5月には、関西初の公営花き市場を開設しました。阪神・淡路大震災の被害は甚大で、市場全体が地盤沈下し、主要施設も大きな被害を受けたにもかかわらず、発生後1週間前後で青果部・花き部の取引が再開し、ついで水産物部も1か月前後で取引を再開しました。この間も緊急復旧工事を続け、平成10年3月には、すべての復旧工事が完了しました。
また、近年需要の高まっている加工機能の充実やコールドチェーン化、場内物流の効率化などに対応するため、新たに加工場・冷蔵庫棟を建設し、平成29年8月から供用を開始しました。

西部市場について

西部市場は、大正9年1月市立神戸屠場として開場し、長年、神戸市民に食肉を提供してきました。その後、施設の老朽化と増大する食肉需要に対応するため、昭和35年度に第1期、昭和38~39年度に第2期の改築工事に着手し、昭和40年5月に全国で7番目の中央卸売市場食肉市場として開場しました。
市場業務については、昭和40年11月、卸売業者として神戸中央畜産荷受株式会社が設立され、昭和41年12月、農林水産大臣の許可を受け、卸売業務を開始しました。そして、昭和53年4月には名称を食肉市場から西部市場へ変更し、市場業務の充実に努めてきました。しかし、施設の老朽化が著しくなり、衛生管理・能率の向上を図るため平成6年3月から全面的な建替工事に着手し、平成8年6月には新館棟が完成し、7月1日より供用を開始しました。

中央卸売市場運営本部の設置について

平成26年4月に、市内の生産、流通、消費のネットワークを強化し、3市場の運営を統括する運営本部を設置し、経営展望計画の策定・推進、共同集荷事業など、中央卸売市場の機能強化に取り組んでいます。

略年表